「詩をきっかけとして考える会」10月例会

浅草雷門
浅草雷門

紹介:「詩をきっかけとして考える会」

 

 ”詩”とは「風に鳴る弦のように、心の深奥から滲み出す”呻き”の奏でる調べ、のことである」その”詩”を拠り所とし、必ずしも政治的で無く、必ずしも市民運動的でも 無く、はたまた必ずしも宗教的でも無い、生命を原点とする立場から憂き世の現在、過去、そして未来を展望してみよう、と試みるフリーディスカッションの集いである。

 

 既にミニコミWebサイト「わかやまイベントPLAZA」上のinformation(イベント情報)コーナー http://www.my.zaq.jp/joh/ に開催日時と場所を予告済みであるが、次回 10月例会を再度案内する。

 

 場所: 紀陽銀行本店裏カフェ&パブ「トリニティー&ユニティー」2階予約席

 日時: 10月23日(水)午後1時30分より

 「トリニティー&ユニティー」TEL: 073-423-5220

 さて、今回、提案するディスカッションのテーマは、実は一部9月例会で取り上げたものと重なるところもあるが、次のようにしよう、と考える。

 

 12月8日に決まった映画上映会”「100年の谺(こだま)」大逆事件は生きている”を少しでも大勢の人達に観て頂くために、私たち(城および土)も呼びかけ人の一人として名を連ねたが、今回はこれに関連することを取り上げる。

 

 幸徳秋水の名を知っている人は結構居るだろう、と思うが、新宮のドクトル大石誠之介を識る人はどうだろう?

 

 今の新宮人も和歌山県人も意外に識らない人が多いのに気付いて、ちょっと吃驚した。

 

 何故なら、今でこそ和歌山市に居住しているが、東京生まれ東京育ちで、60余年を東京で暮らした私でさへ識っているのに…、という思いがあるからである。

 

 私の手元には、今は廃業した和歌山市内の古書店主に依頼して入手した弘隆社発行の大石誠之介全集(全2巻)と、多分、東京か大阪の古書店で見つけた単行本濱畑栄造著「大石誠之介小伝」と岩波書店刊行の森長栄三郎著「禄亭大石誠之介」の2冊の他「熊野誌」という地方史研究雑誌の大逆事件特集号46号および46号別冊と同様特集の54号の3冊がある。

 

 しかし、それらを熟読精査したわけでは無い。生来の所有しているだけで「安心」という己の怠惰な状況を恥じるばかりである。

 

 それでも、何故?そんなに安価でも無い資料を集めたりしたのか?と問われれば、その最も大きな理由は、大石誠之介という個人に関心があった、もっと平たく言えば、彼には好感が持てるし、そういう男が結局、私は好きなのだ、というところに落ち着くことに気付いた。

 

 私は和歌山市内に住んでいても、言ってみれば、東京人である。尤も、ただの東京人なら、特別大石誠之介に関心を持つことも、先ずあるまい。

 

 私がちょっと違っていたのは、自分のルーツが紀南にあったことだ。新宮では無いが、父親は今のすさみ町(元は江住村江須の川)出身であり、何代前からか?は定かでは無いが、そこそこ続いた旧家であったから、その辺に遠因があったのだろう、とは言えよう。

 

 つまり、私も小学生の頃から父親に連れられて夏は学校の休みの間中(あの戦争で中断されるまでは)、枯れ木灘と呼ばれる紀南の海辺で、本家の従兄達や親戚の範囲内ではあるにせよ、紀南の人々と一緒に、彼らと同じ生活を毎年一夏中、体験して育った、ということもあるだろう。

 そして、濱畑栄造著作の自序という項中に、次のような記載を見出だした。

 

 前略『人はどんな人でも欠点はあるものだ。ドクトルはどうしてこんな憂き目をみるやうな結果になったか、この「小伝」を読めば納得の行くことであるが、まとめてみると、(1)自信過剰で、法律を軽んじた事、(2)余りにもお人よしである。祖父呆作の結構呆作をそのまま受けついで、何でもウンウンと呑み込み、寛容度に過ぎたやうである。(3)表面、冷静水の様な性であったが、一たんかうと思ふと火山のやうな爆発的な感情を持った人である。以上の点が特徴であり欠点であった。』後略

 

 これを読んだ時、他人事では無い、と感じた。それは、自分の中にもある性格の様な気もしたが、もっと考えてみると、私の父親もそんな気性を持っていた様な気がする。だからと言って、それが紀南人を代表する性癖とは、到底断じられないが、少なくとも我が家系一統には、其処此処で、そんな傾向がみられたこともまた、否定できない。それと同時に、更に色々な状況での類似点が大石と私の父との間には、有ることに気付いた。

 

 私の父は1898年生まれだから大石誠之介に遅れること略30年後に紀南で誕生したわけであるが、父も大石誠之介同様米国に留学した。医師では無いが、歯科医師であった。帰国後の大石は料理が好きで、当時誰も知らなかった西洋料理のレストランを新宮に設けて一般に普及しようとしたらしいが、私の父も矢張り、料理が好きで、米国から"The Boston Cooking-School Cook Book"という4、5cmも厚さのある本を持ち帰り、良くこれを見ながら当時日本では余りなじみの無かったものを料理して私たちに食べさせ、悦に入っていたものだ。

 

 多分、そんなことが色々重なって私は当初から大石誠之介が好きだったのだろう。

 

 医者であった大石誠之介は45歳で死刑を執行されたが、医業の傍ら全集として纏められた著作は散逸した分を除いても3.5cm程の厚みのある立派なハードカバー2冊分も残っている。

 

 内容は平民新聞や牟婁新報他に寄稿した社会評論や、彼の他の一面を表す情歌(都々逸)作品の他に料理について書かれたレシピや栄養学的見地からのエッセイ等多岐に亘っている。

 

 大石には、情歌を論じた「変哲学的情歌観」とタイトルされた小文があり、これを紹介すると共に、「大石誠之介全集」第2巻の別刷りの付録には、作家水上勉や新宮の詩人若林芳樹の記述、更に池田千尋は「誠之助のコックさん」と題する小文を残しているので、これらから大石誠之介像の一端を垣間見てみたい。(文責:城 久道)

 

<追記>  ドキュメンタリー映画”「100年の谺(こだま)」大逆事件は生きている”上映会の詳細については、上記ミニコミWebサイト「わかやまイベントPLAZA」上のinformation(イベント情報)コーナー http://www.my.zaq.jp/joh/ に案内を掲載するが、チラシやチケット(参加協力費)は、城の手元にもあるので、ご希望の方からご連絡頂けば、お届けします。遠慮無くご利用下さい。

 

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URL:「わかやまイベントPLAZA」 http://www.my.zaq.jp/joh/

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