大変ご無沙汰して居りますが、いかがお過ごしでしょうか?
右を向いても左を向いても閉塞感に満ちた時代となりました。大災害後の日本ばかりではありません。ユーロ圏を初めとする欧米や先進国のみならず、活気に満ち溢れ、可能性を大いに孕み、これからという期待の高まるアジア新興の国々も、その顕著な発展を示す数値が早くも失速気味となり、停止や下降を始めたようです。
一刀両断すれば、人類の、一気に欲望の果てに向かおうとする趨勢と、エネルギー問題同様、いやそれ以上に制御不能に陥った市場原理資本主義のもたらす当然の帰結、と言えるのでありましょうし、またそれ以外に言いようも無いのでしょう。
ここで人類だけが繁栄を続ける筈である、あるいは続けねばならぬ、という必然性は当然のことながら全くありませんし、節度を忘れた愚かな人類が向かう窮極の運命に抗うことも、また身の程知らずの傲慢さと言われるのでしょうか?
氷河期を乗り越えられずに滅亡していった数々の種同様、ホモサピエンスが同じ道を辿ったところで、それは寧ろ自然なことゝ考えられます。
ところが一方で、幸か不幸か、あるいは滑稽にも、と言うべきか?生き物、勿論ヒトも生きている限り、腹が減るから喰わないわけにはゆかぬし、喰わねば、いずれ、それも確実に生命を失うことになるという事実が厳然として存在する。然るが故に、多分大方の人々(無論、私も含めて)は仕方無く何らかの方法(現役時代に積み立てた年金の受給によるとか、貯金の取り崩しとか、家族やその他の人々の協力や、支援とかによって)何とか、このクソ忌々しい市場原理資本主義の世界から即刻逃げ出すことも叶わない侭、半ば以上は諦めの境地で、ご飯を食べて命を繋いでいるのが現状でありましょう。この私も決して、その例外では無いのです。
今年の七月で101歳を迎える母の口癖では無いが、「何も出来ずに生きていても仕方が無い」のも当然でしょうが、そう言う口の下で本人は本能的に食べた いものを食べようとするし、何とか生きようとしているのが明々白々の事実であります。「もっと楽に生きたい」とは、誰しも考えるであろう。私だって、もし
101歳の母と同居していなければ、なけなしの金を工面し、苦労して今住んでいる家のローンを払い続ける必要は無いかも知れぬ。少人数の家族構成には贅沢 すぎる、少しばかり広いスペースを確保し続けているのは、成る可く自立状態を保ちながら居宅介護を行うという目的に沿って、そうせざるを得ぬ当然の帰結で
あり、より小さい家で、もっと便利な場所に立地する低所得者住宅にでも移った方が、色々な意味でよりイージーに暮らせることであろう。だが、与えられた現 実がそうでは無いのだから、そのことをぐずぐず言ってみても始まらぬ。問題はその状況を如何にして切り抜けるか?に尽きる。
いつものように前置きが長過ぎたかも知れぬ。本来の技術翻訳の仕事依頼が殆ど消失し掛けた時、幸いなことに、親しい知人を介して和歌山市の然る病院のアドバイザー乃至事務長として病院をみて貰えぬか?という話が舞い込んで来た。
私の親父は歯科医師だったし、母方の祖父や叔母は医師、という環境にはあったが、私自身、医師や歯科医師には生理的に馴染まぬという感覚を有して来たの で、この業界には全くの門外漢であって、何の経験も有していない。従って、引き受けるべきか否か、可成り真剣に考慮したが、実質的な事務長職では無く、ア
ドバイザー、コーディネータ、コンダクターくらいの心算で引き受けることにした。今年の3月から、この中小病院に出勤し始めた。
フルタイムでは無い。オーナーからは週1でもよい、と言われており、報酬も自分が技術翻訳をやっていた時の生産性からすれば、丁度それに相当するくらい の額だ。つまり、一ヶ月が4乃至5週間だから1週間の出勤日数4-5日間を各週に当て嵌めれば、週に1日出勤すればバランスが取れる。しかし、週に1日し
か出勤しなければ、現実に派生する日々の懸案に手を染めることさえ覚束ない。
従って、今は慣れぬ世界に週に3日間出ることに努めている。報酬の伴わぬ後の2日間はボランティアの心算である。オーナーの心意気に共感するところと、 己自身の納得のためである。また一方で、私の残りの人生全てを病院事務長職に捧げる心算は無く、私には書いて、残し、伝えるという仕事がある。その時
間のために選択の自由度を残して置きたい、という思惑もある。その書き、伝えるという窮極目標実践の為の時間が今より緊急となったら、いつでも躊躇いなく、そちらに振り向け ることが出来る余地を自ら確保しているという意味もある。
とは言え、私をよく知る旧友は、『事務長就任よかったですね。頑張って下さい。でも、病院という所は人間関係が陰湿でとくに女性が多いので、君にとって は虎の穴に素手で入って行くようなものー、老婆心ながら気をつけて下さい。』とメールを呉れたが、既に思い当たる節もある。
そんな事情で、物理的に時間も不足し、皆様方への連絡も疎遠となり勝ちであった。お許しあれ!
ところで、書き、伝える具体的な手段としての出版物の刊行、より具体的には文芸詩誌「PAM」の再発行は可能だろうか?休刊中の同誌の有力な書き手でも ある版画家松本旻氏からは予てから連絡があり、止むを得ず中断に追い込まれた抄説「長谷川等伯」の連載を完結させたいが、「PAM」の再刊は断念したの
か?と訊ねられていた。要は費用捻出の問題に尽きる、というのが私の答えであった。
上述した私の経済状況のみならず、私がこれまでにお付き合い頂いて来た殆どのアーティスト達で、物故することなく生きながらえて来られた方々は、高齢と なられ、言うまでも無く、多くの方が実生活に直結して必要とされる器具や食糧、身の回り品には属さぬ作品をもって活計を立てゝ居られ、そういうことが最も
困難な時代に直面しているというのが現状である。
はっきり申して、我々のような貧しいアーティスト乃至表現者(端くれではあるが、私も)が、かような企みを意図するのは誠に無謀、またそれには、最も不適切な時代であると言われることは間違い無かろう。
しかし、金が無ければ諦めるしか無いのか?そうなら、地獄の沙汰も金次第、の汚い金に振り回され、罪の無い人々に災いをもたらそうが、無垢の子供たちの 生命を将来に亘って脅かそうが、一切斟酌すること無く、原発マネーに群がる実業家、政治家、役人、御用学者と大して変わるところが無いではないか!それで
よいのか、それであなた自身が納得出来るのか!
費用は実費のみに努め、最低限で”止むに止まれぬ思い”を記し、表現し、伝えることを怠り、漫然と悲嘆に暮れるだけでよいのか!遅かれ早かれ、どうせ死 ぬ身だから何がどうなろうが、知ったことでは無い、とも言えよう。だが、どうせ死ぬ身だからこそ、やるべき事、やりたいことは、きっちりやって、あの世へ
行こうでは無いか。
費用の掛からない方法を検討し、別に「PAM」の再刊で無くとも構わない。「うめぼしの種」の執筆者達と一緒でも、もっと大勢の人々に参加して貰って、どんな形のものでも構わないから、世の中に向かって一寸の虫にも五分の魂のあることを示せれば、それでよいでは無いか!
これを一期一会の機会と捉え、意欲ある表現者たち、また、それを支えてやろうという協力者たちにも集まって頂き、このプロジェクトの可能性を探る機会を 作るため松本旻氏と相談して来る七月八日(日)に東京の然るべき場所を設定することにした、無論私も参加する。万障お繰り合わせの上、是非お集まり頂きた
い。実質的に執筆して参加希望される方のみに限らない。顔を見せて頂いてご意見をお聞かせ下さるだけでもよい。また、時間が取れない方は別な方法、たとえ ば、手紙、メール、電話何でも構わないので、ご意見を賜ったり、何らかの形でご協力を頂きたい。
時間は当日午後からとし、場所は適当な所があれば教えて頂きたい。特に別案が無ければ喫茶室「ルノアール」のマイ・スペースを予約してもよい、と考えている。
また、人数の確認のため、6月末日までに参加の可否を私にでも、また松本氏にでもご連絡頂きたい。
長たらしくなったが、この型破りの檄文というか、メッセージは私や松本氏が仲間として思い浮かべることの出来る方々に広く伝えさせて頂くことにする。忌憚の無いご意見ならびに出来る範囲でのご協力を心からお願いする次第である。(文責:城 久道)
二〇一二年六月三日
連絡先:城 洋司(久道)
〒641-0022 和歌山市和歌浦南3-5-6
:松本 旻
〒228-0303 相模原市南区相模大野7-36-1-1019
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